町屋からの八ヶ岳

町屋歩らり館 

見どころ 


国指定史跡 谷戸城址と丸山もみの木





 
町屋くん:
 
こうちゃん:
 
町屋くん :
 
こうちゃん:
 
町屋くん :

 
ここは谷戸城址だね。この辺じゃ親しみをこめてじょうやま
(城山)と言ってるさ。知ってたかい。
知ってるさ、国の史跡に指定されただぞ〜。昔は本丸に八幡
宮もあっただけんど今は逸見神社に移転されただと。
ほう、よく知ってるね、昔はよくよこで松ぼっくり野球をや
ったじゃんね
ほうだね。子供クラブの城山の掃除の終わった後に小中学生
が混じってやったなあ。なつかしい。
ほして、ここは桜の名所でもあるだぞ。
 
谷戸城について
   
■ 谷戸城は、甲斐源氏の祖、新羅三郎義光の孫逸見源太清光の居城で、当時逸見山の館と呼ばれた。
   清光は長男光長を逸見の庄に二男信義を武田の庄に配したのをはじめとし、十余人の男子を甲斐の要地
   に拠らせて、甲斐源氏繁栄のもとを開いたが、「東鑑」の治承四年(1180)九月の記事に、武田太郎信義ら
   が信濃の平氏に勝って帰り、逸見山に宿した、とあるのがすなわちこの城である。
   谷戸城は、八ヶ岳山麓の天険を利用して築いた山城で遠望した山のかたちが、茶臼山に似ているので一
   名を茶臼山城と言う。城の東西には東衣川、西衣川が流れ、堀の役をしていた。城の本丸は、周囲に土塁
   をめぐらしたほぼ1100平方メートルの平坦地で二の丸、三の丸とも塁壕(からぼり)を残しているわが国平
   安末〜鎌倉初期の城址としてまことに貴重である。
   清光は、仁安三年(1168)六月、この城で没した。享年五十九歳。以前は、本丸に清光の霊を合祀し開源明神
   といって八幡宮がおかれていたが、今は逸見神社に移転された。
   ちなみに、武田信義の十六代目の後裔が武田晴信(信玄)である。
   平成五年(1993)11月29日に国の史跡に指定された。
   谷戸城についての詳細は、考古資料館に展示してあります。
見どころ

■ 桜                             ■ 雪の谷戸城
      
   春は谷戸城全体が桜の花で覆われ、桜の名所となっています。
   4月の中頃が見ごろです。多くの観光客が訪れます。
■ その他見どころ
■ 花仏和尚句碑
   谷戸城南、大手口の入り口横にある花仏和尚の句碑です。
   
   「元旦の人は神なり仏なり」 花仏和尚につては道喜院をご覧ください。

    
  ■ 丸山のもみの木
     丸山のもみの木は、谷戸城南西にあるもみの木の大木です。大泉村時代には、村の指定にもなってい
     ました。
       
     ここからの富士山は絶景です。

          

   ● 2013年1月1日 初日の出
     谷戸城南側の丸山から撮影、茅ヶ岳から出る初日の出と富士山です。